中国で医学が成立したのは
秦の始皇帝の頃であると言われています
最初は皇帝や豪族の為の医学です
その頃の中国古典の中で
今に伝わっている代表的な本は3つあります
- 黄帝内経
- 神農本草経
- 傷寒雑病論
の3つです
この3つは広い中国の中で書かれた地域や文化が違います
地域や文化によって病気の種類も治療法も違っていました
それぞれ地図に示しました
黒→黄帝内経が書かれた地域
緑→神農本草経が書かれた地域
赤→傷寒雑病論が書かれた地域
黄帝内経の成立について
黄河周辺で発達した医学を集めて書かれました
このあたりは遊牧の民が多く、不毛の乾燥した土地ですので
鍼や灸を主な治療法とする書になっています
その基本姿勢は恬憺虚無(てんたんきょむ)といい
心に何のわだかまりもなく、安らかであっさりしていることです
淮南子あたりから出現する陰陽五行学説
および道教の思想をくみとり
仏教やシャーマニズムを含まない
統一的な世界観を持ち、診断即治療が可能であると思います
黄帝内経は鍼灸においては重要な役割を持つ書です
薬学のことはあまり書いていないのですが
それでも薬方や導引(マッサージ)でも基本の書と考える治療家が多いです
その理由ですが、特に素問に言えることですが
万物におこる出来事に対しての
見方や考え方指南する哲学書という面を持っているからだと思います
黄帝内経の成立については別に詳しく書きましたので
参考にして頂ければと思います
https://toyo-igaku.info/kenkyukai/?p=46
神農本草経について
この本は中国最古の薬物学(本草学)書で
長江の流域の医学を集めて書かれました
成立は後漢の頃で著者編者は不詳です
揚子江流域は早期から稲作が発達し
また、西部の山岳地帯には多くの薬物を産出しました
天候や資源に恵まれていたために
早くから系統だった薬学の書が出来たのでしょう
内容ですが、一年の日数に合わせた365種の薬物を
上品(じょうほん、120種)、中品(ちゅうほん、120種)、下品(げほん、125種)
と薬効別に分類しています
- 上品とは養命薬ともいわれ、無毒で長期間服用してよいものを指します
- 中品とは使い方次第で毒にも薬にもなるので、気をつけて服用するものを指します
- 下品とは病気を治療する薬ですが、積極的治療薬で
有毒なので長期間服用してはいけないものを指します
傷寒雑病論について
傷寒雑病論は長江よりもう少し南の地域の医学を
集めて書かれました
後漢の時代に張仲景(ちょうちゅうけい)が著したものといわれ
特に傷寒論については、西暦220年頃の作とされています
傷寒論は極めて実用的で
哲学やシャーマニズム、仏教などの影響はないとのことです
理論展開は無く『この病気にはこの薬』
と処方があるだけです
『黄帝内経』や『神農本草経』と比較して理論が貧弱にみえるのは
気候がよく、文明も発達していたから
病気が治りやすかったのかもしれません
この病気にはこの薬という単純な(奥深いとも言います)処方は
古方派と呼ばれる流派のバイブルとなっています
後世方派と呼ばれる流派のバイブルは黄帝内経で
「方」とは方剤のことですので
鍼灸では単に後世派と呼ぶこともあります
ちなみに我々鍼汪会は後世派を名乗っています