2017年 1月8日 新年学術研究
瘀血と痰飲について 金崎文代
瘀血の概念
瘀血とは、血液の流れが悪くなり、滞る病理の状態をいう。
古典には、血瘀という事での説明も有るが
血瘀が血液が滞っている状態で
瘀血は固まった血液そのものを表していることもある。
瘀血の原因
原因は、大きく2つに分けられる。
- 血行が悪くて、臓腑、経脈に血液が、停滞し、瘀血になる場合。
- もう一つの原因としては、血管が損傷しておこる瘀血。
血行が悪くて瘀血になる場合
4つのものが考えられる。
- 気虚により、血を巡らせる力が弱い為。
- 気滞により、血を巡らせる事が出来ず血が留まりやすくなる為。
- 血寒では、寒いと気が伸びやかでなく、そこに血が留まろうとする為、血が巡らない。
- 血熱では、熱により血が凝集し、血の流れが悪く、滞留しやすくなる為。
血管が損傷して起こる瘀血
3つのものが考えられる。
- 外傷や打撲とかによって、血管が傷つき、漏れた血が排出されずにそこに留まる為。
- 血熱では、血分の熱が盛んになり、血脈を灼傷する為、漏れ出た血がそこに留まる為。
- 気虚では、統血作用の機能失調により、血が血脈から漏れ出てしまい、そこに血が停滞する為
これら全てが瘀血を引き起こす原因となる。
そして、瘀血の形成により、病の素因となって身体に有害な働きをする。
身体におこる症状
身体におこる症状は
呼吸が短息になり、体温が低くなったり高くなったりと調節が出来ず
脈拍も多くなったり、少なくなったりする。
これは血脈の濁りによって出てくる症状である。
また、瘀血は気血の運行が阻滞する為
仏痛症状が出やすい
仏痛の特徴は、針で刺される様な痛み刺痛であり
痛い場所を触られるのを拒む拒按であり、痛みの部位は固定的である。
瘀血の病症において
熱性病、伝染病、遺伝等の血脈の悪性損傷も有るが
鍼伮の治療対象となるのは、打撲等の損傷による瘀血と婦人科疾患等の瘀血である。
《病源辞典》には
《病源辞典》には瘀血として
【血瘀痿】と【婦女蓄血】があります。
血瘀痿
病源辞典より:
打撲の損傷により瘀血は消失せず、内に血が溢れて傷れる。
未だ、血脈は清理せず、産後悪露し、腰膝に流れて血脈は、瘀積して痿と成る。
打撲によって損傷し内に出血した部分が吸収されず
血脈はいまだ、きれいになっていない。
又、産後悪露により排出されるはずの血性液体が
腰と膝に流れて、血脈は停滞して足腰を栄養出来ず、痿を形成する。
病状は四肢は萎えて力が無く、腰膝は䛥痛(痛みでだるい-漢辞海)する。
脈象は、ショクにしてコウ。或いは、沈ショクにして弦。
解釈:
四肢な萎えて力なく→
血液が積滞して血液の流れが停滞し四肢を栄養出来ないため
腰膝は俊痛する→
腎精の損傷のためおこる。
脈の解釈:
シャクにしてコウ→
ショクは、水分が少なくて、血の壊れによるもの。
沈ショクにして弦→
血脈の話。
婦女蓄血
病源辞典より:
女性は血瘀の為経閉して、産後の悪露がきれいに排出されず
その瘀血により子宮の働きは、阻害される。
また、冷たい風にあたる。及び、生ものや冷食において、瘀血になる。
病状:
少腹には、癥塊(チョウカイ-腹のなかのシコリ)が痛み、
按ずると、益々痛みが強くなり
脈象は沈弦。
解釈:
下腹のシコリが痛み→気滞により、血がめぐらず滞っている為
按ずるとよけいに痛みが増す→血が滞っている為、実痛。
脈象は沈弦→沈脈ー血の病 陰病 弦脈ー血による腹痛の為
瘀血の診断部位
頭部
頭痛:眩暈--肝木の症状、耳鳴り--腎水の症状
首肩
肩こりー血のにごり、滞り
皮膚上
暗紫色や青筋、手掌は赤色ー血行不良の為
皮膚自身かたくなるとき
血の機能が十分行き渡たらず、皮膚に潤いが行かない。
爪
爪甲部が異常になるー末梢が栄養されない
口まわり
口渇(口が燥くが、口を湿らすだけで飲み込もうとしない)
津液を調整する下焦の肝腎が壊れている為
口唇、舌、歯根ー暗紫色
各部に出血
衄血(ジクチ-鼻血)、便血、子宮出血、吐血、喀血、
血尿は血脈が濁って直接体外へ出ていくこと
瘀血の自覚症状
全身の熱感ー三焦としての全身の灼熱感
腰脚(股関節)ー動きの悪さ
腹部ー寒冷感
重痛(しびれ感)ー燥邪によるもの---いわゆる 体内の水分不足
解釈:
瘀血は体内を守る下焦、精血の損傷が多い
下焦は、足の少陰腎経と足の厥陰肝経であり
腎は精を主り、生長、発育、智力、生殖に関与する。
肝は血を主り、情志に関与し謀慮をと決断を行う。
よって瘀血が多く見られる場所は
栄血の腹部、精血の下腹部なので、腰脚やひざ等の下半身の症状が多い。
全身の熱感と腹部の冷感については
寒熱寒の話しではなく、熱寒熱の話しである。
陰陽に於いては
陽症は肝臓と心臓で痛みと熱。
陰症は肺臓と腎臓で重痛シビレと冷えで分類。
また、瘀血は血が濁るため
大小便のニ便が出ているかどうかが、治療過程において、重要になる
(長くなりましたので、痰飲については次回につづきます)